「純正」

breaking

Breaking” 「破壊」 と言う絵について買い残したいと思います。

ここ数日気持ちがなんとなく落ちていた私。それと同じくして絵を描く時間

を取れないままの数日だった。絵を描けない日は気分が落ちてしまうのかな。それとも、気分が落ちたから絵を描けなかったのか。どっちだったんだろなぁ。自分でもわからないんだけど。

そんな中久しぶりに描いたのがこの絵でした。「破壊」だってさ。自分らしさとか、自分が本来本当に求めているゴールはなんなのか?それをちょっと頭で考えすぎてオーバーヒートした感もある私だったのですが、それに対するメッセージのような気もします。


最初、鳥の頭のようなものが浮かんで。闇を突き抜けようとする虹色の体の鳥。ちょうど、流氷の中か、氷を壊しながら進む船の船首のような。

めちゃくちゃ言葉にするの難しいんだけど、自分の中にある定義のようなものを全て破壊しなさい。って言うようなメッセージ。例えば、私ってこうだよね、って思って不自由を感じていても、「こうだよね」って自分をジャッジしている基準すらも、必要ない。それすら破壊する。

破壊って言う言葉、一瞬ネガティブに感じるように思うけど、みんなはどうかな?でも今日のメッセージの破壊は、新たな一歩のための、本当の自分をみるための前向きな破壊のお話みたいです。


自分的にも世間的にも真実のように思っていることって、本当にあなたの真実?

小さいことでも大きいことでも、何かを決断したり取捨選択する時、必ずそう自分に聞いてみること。一瞬でも「ん?」と引っ掛かりがあったなら、きっとそれはあなたにとっての真実ではないかも。

破壊。

これまでの人生で知らず知らずに取り入れてしまった他者の、もしくは世間的な価値観を再選別して、自分にあったもの以外は捨てていく。自分の感覚で選び取ったものを人生に取り入れる。また、選び取れる感覚を養っていく。

本当は、みんなすでに自由なんだと。不自由と感じ、不自由と思い込んで、不自由にしているのは、自身である、とのことです。だから、そう言うジャッジやその基準、環境も一旦破壊して、独自の純正を見出す。急にすぐってわけにはいかないことはいっぱいある。でも、できないって思ってることすら、本当にそう?って思ってみることが大事なのかな。できるところから、できる時に少しずつでも。

どんなものでも、そのものの本質を知った上で、自分も共鳴共感するものかどうかを見極められたものだけを側に置きたい。どんなことでも、自分の感覚100%で選んだものに沿って生きたい。それは、もう理想論で終わらせるべきではないし、終わらせたくないな、と私は思っています。これまでの真実が果たして本当にそうなの?と問うことで、自分ではないものを破壊していくことは、自分らしさにつながっているんだろうなぁと思います。

みんなはどう思ったかな?
いつも読んでくれてありがとう!
またね!

コメントを残す