「目に見えないもの」

aura

“Aura” 「気」と言う絵について書き残したいと思います。

ゆっくりと漂う煙ような、霧のような。そこから湧き上がるものは、形容するのがとても難しいんだけど、悠然と気品を持って、静かなのに着実で芯のあるその全体の動きと空気感。なんだろうな?どう絵具で表現しようかな、と戸惑いました。

ゆったりとしながらもじわじわした感じが、水の中に絵具を落とした時のにじみに似てたから、全体的に紙を濡らしてから絵具を大量に落とし込んで、紙を傾けて流れを作る方法を取りました。(意味わからないと思うけど!動画撮ってあるので、いつかアップします!)


私には、この動く絵具を眺めるのが本当に心地よい。普段の私を知る人には、いつもちっちゃい人がドタバタいそいそしてて、がはは!って笑う、「静」とは逆のイメージかと思いますが(笑)、この絵具のようにゆっくりとじんわり流るように、ゆったりとしたいと思う私もいます!絵を描いているときだけはそれがかなっていて、絵を描いてるときの私って、別人なんじゃないかと思う。まぁ、まず喋らないからね(普段おしゃべりだけど!)。

誰しも、ただそこに立っているだけで、その人独特の雰囲気を纏っている。抽象画を描くようになってから、その雰囲気が色に置き換えて見えるようになって。多分、俗に言うオーラだと思うんだけど。

今回の絵は、それに似てる。みんなそれぞれ色も違えば動きも違うオーラがあって、またその時々で同じ人でも違って感じる。きっと、その人が何かやりたいことができたり、何かを手放したり、自身の人生における決断や生き方の変化があった時、違ったオーラを発するんだろうな、と今の私は理解しています。


なんだろう。世の中、不思議なことはいっぱいあって、でもきっと不思議ではないのかな。人間って目に見えることをスタンダードだと思ってるけど、そっちの方が実はマイナーで、本当は目に見えないもの?こと?の方が大部分なんじゃないかと、最近思うんだよね。少なくとも、そう思うようになってから、生きるのが楽になってきた。心持ちが違う。目に見えて何かなくても、確実に目に見えないものは動いていて。それがわかるようになるには、やっぱり目に見えることに惑わされないようにすること、自分の本当の本当とつながってることしかないかなぁ、多分。

人それぞれオーラが違うように、その人その人独自の真実がある。だから、他人の眼鏡かけたって、全然ピントが合わないのとおんなじで、他人の考えや正解とうたわれてることを鵜呑みにすると、自分には全然ピンと来ないことも多い。もちろん勉強も各種インプットも大事な場面はあるけど、必ず自分のフィルターで見直すことは忘れないように努めたいな、とおもっております。

と言うことで、オーラにまつわる私の気持ちでした。

いつも読んでくれてありがと!
またね!

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