子供と老人

昨日ある団体のバザーに家族一同が参加した。
私は、1歳9ヶ月の孫の子守り役であった。この女の子は、焼きそば食べたり、味噌田楽を舐めたり、滑り台に行ったり、壮年には大きな行動を強いられた。
会場は、団地に近いので大変な賑わいであった。隣接する公園を子供たちが駆け回り、幼子は泣き叫び、工作教室では小さな椅子作りが汗をかきつつ行われていた。
地震体験車もあり、不安と遊び心のなかで子供達が揺られていた。新緑と同様、活気と若さと未来に満ちていた。

子守の前、86歳の兄と84歳妹との兄妹の会話に偶然立ち会った。
兄が、頂いたワラビを妹に御裾分けをしたのである。暫くぶりに兄妹は逢った。会話はたわいないものである。
でも、戦争を乗り越え、家庭を築き、子供を成長させ、その妹はこの10年来一人暮らし。そのたわいない会話と室を流れる風に爽やかさと重みを感じた。
兄は、長生きすることが社会にとって正しいことなのかとふともらす。哲学的言葉。

産経新聞に曽野綾子が死にそうにないとしか思えなかった上坂冬子の事について書いている。
彼女は素晴らしい名言を残したと言う。一つは「東京の地価が高いのは魂の自由代が含まれているからだ」
東京は誰がどんな生き方をしても一切、口出しをしない土地。

彼女にとってはこの自由こそ人間性を保持するための、社会構造上、必須条件だった。
そして、上坂は、もうひとつする仕事があると数年来言っていた。

その名言は、「死ぬという仕事を果たす」ということである。
そして曽野はこう結んでいる。

私は彼女の死を少しも悼んでいない。これだけ自由に羽ばたき上坂冬子という名前を聞いただけで皆が笑顔を禁じえないような魅力的な生涯を誰もが送れるものでないからだと。

子供の活発な姿、長生きは本当に良いものかと問う者、そして、死ぬという仕事を果たすという人。
そこには生がある。

2023/02/01 こさゆパパ追加
この記事のバザーの時の写真。じいじが子守をしていたとは😊

孫