「夫婦を救ったのは子供たちだった」

事の始まり

約10年前お義父さんが亡くなってから、我が家の生活は一変した。それまでの2年間、家族みんなで癌の闘病生活をしていたのだけど、家庭の父がいなくなる心の準備も、お義父さんしかわからないことの多い会社2つの何かしらの準備も、「お義父さんは死なない」って信じたくて出遅れてしまっていた。今思えば、お義父さんが癌に打ち勝てる可能性はほとんど皆無だったのに。後の準備に向き合うと言うことはお義父さんはもう亡くなってしまうと認めてしまうことと同じだった。死なせるわけにはいかないって思ってた。でも、その時は来たんです。

父の他界が想像以上の衝撃だった

じいじと初孫
闘病初期のじいじ
一番大変だった頃!

どこか秘密主義でワンマンだったお義父さんは、仕事を手伝わせていた息子(パパ)にも肝心なところは話さなかった。突然、長男であるパパが全てを取り仕切らないといけなくなり、畑違いのパパは彼なりに頑張ってなんとか立っていました。私はと言うと、当時3人の子供たちが全員幼稚園以下。子育てと家事以外のことは何もできる状況ではなく、子供の寝かしつけで私も寝落ちする毎日。パパの話を聞いてあげることすらままならなかった。毎日無事に帰宅してくれるかと頭の片隅ではいつも気になっていながら、私自身も経験したことのない危機を感じて過ごしていました。

その時期の唯一の救いは子供たちだったんです。そんな状況で3人も小さい子供たちがいるって聞いたら、「大変」って思われるかもしれない。でも、子供たちの存在は光でしかなかったんです。パパの「ただいま」の声で、子供たちが「パパ~」って叫びながら次々廊下を走ってパパに抱っこをせがんだ時だけが、パパの笑顔を見る時だった。毎日子供たちの世話と生命を繋ぐためだけで毎日が精一杯だった私は、子供たちのお陰でぐっすり眠っていた。無駄に不安になったり良くない想像に落ちたりしないで済んだんです。もとより楽観的で根明な私でも流石に折れそうだったけど、なんとか壊れないで済んだのは一重に子供たちのお陰でした。

母親として、妻として、私として

私がハンドメイドアクセサリーのショップを始める決意をしたのもこの頃でした。会社のことは私にできることはあまりない。じゃ私が私の身体があればできることで何か助けになればと思ったのがきっかけでした。子育てがひと段落したらやろうと思ってコツコツ集めていたビーズの出番が来たと思ったんです。それは、子供たちがいなければやろうとは思わなかったかもしれない。この子たちの笑顔を守るためにできることを考えた結果でした。ビジネスとしてはあまりうまくいかず何の足しにもならなかったけど(苦笑)、私の私という個人の人生さえも一歩前に導いてくれたのでした。

よくモデルをしてもらった
ちゃんとポージング♡
何気に上手だった!
ショップの頃の私
手書きの看板懐かしい!
ビーズタッセル 全部
後半の作品たち♡

子供たちの今日

そんな子供たちも、今年で全員中学生以上となります。昨日、長女の推薦入試の合否発表がありました。部活から帰宅した次女が階段駆け上がって急いで結果を聞きに私たちのところに一目散にやってきた時は、そんなに気に留めていたのかと感動して泣きそうに。残念ながら不合格だったことを知ると、「うちの姉の何がダメだったのか聞かせてもらってよろしい?」って学校にクレーム入れそうな勢いで残念がっていました。

起立性調節障害を患う末っ子長男は、学校を休んでいたため遅い起床。ぐったりめまいでフラフラなのに、起きてきてすぐ「どうだった?」って姉の合否を確認しに来て。結果を聞いた時の顔の表情が、本当に心配そうというか気遣う顔というか。二人ともお姉が好きなんだなぁって思って、優しいなぁって思って、合否結果は残念だったんだけどそんな姉妹弟愛を見て幸せもいっぱい感じる日になったんです。書きながら泣きそうです。

いつか届け!

本当にずっと子供たちには助けられています。なんて優しく思いやりのある、でも芯のある子供たちに育ってくれたかと、泣けます。本当に大変だった。ふかーい穴に落とされて出口が見えないままで、どうしていいかわからない。長引く苦境にとうとうパパが軽症ではあったけどうつ病になったりして、本当にどうしようもなかった。でも、なんとか笑顔を失わずに生きてここにいられるのは、子供たちがいたから。どんなに辛くても子供たちに救われた。今日は、そんな子供たちの姿を記録しておきたいと思い、ブログに残します。

だから笑って生きられた!

ここまで読んでくれた皆様へ

読んでくれた皆様。どんな人もどんな家庭も色々大変な時期を経験してると思います。これからそんな時が来る人も、たった今とても苦しい人もいるかもしれない。でも、一見ネガティブに見える出来事も、見方を変えれば素晴らしい気づきのきっかけになっているはずです。それ以来私は、何か辛いことが起きた時こう思います。「何のお知らせかしら?」って。何かの成長のため、何かの気づきのために起きてくれていることだと。

将来、この文章を我が子たちが読むかもしれない。辛いことを経験した時、読んで欲しい。だから、今辛い人たちにも読んで欲しい。みんな辛い。色々ある。でも、自分の中の愛だけは失わないで!みんなよく頑張ってるもん!幸せにしかならないって思ってる!みんなが笑顔でみんなが幸せに。もうほんとそれしかない。地球全部がそうなってくれたらってほんっとうに願わずにはいられない!またまたなっがーい文章読んでくれてありがとう!そんな我が家の、家族の記録でした。

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