法事に山梨の下部に行く--身延 巌龍山 慈観寺--
先日(6月12日)に祖母の13回忌の法要があった。
私が高校3年の時にこの世を去り、既に12年の年月が経つ。
私が中学二年の時に、脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になったが、トイレ・お風呂その他身の回りのことは亡くなる直前まですべて自分でやっていた。
今でも黙々とやるその姿は脳裏に残っている。
法要は、山梨県西八代郡下部町にある巌龍山 慈観寺(JR身延線 久那土)で行われた。
我が家の菩提寺である。
このお寺は、神亀5年(728年)に、行基が聖観世音菩薩を刻み、安置したことを始まりとしているそうだ。その後、真言宗のお寺だったが後小松天皇の貞治6年に曹洞宗に転じた。
明治初年の廃仏毀釈で、その規模は小さくなったが今でも住職と檀家の協力で維持されている。
このお寺にある、輪蔵(輪転の書架)には一切経6千巻が収められており、町の文化財に指定されている。また、竜山水子地蔵尊も有名だそうだ。
写真は、Vodafone 702NK(NOKIA6630)で撮影。
私の家のお墓そのものは、このお寺の敷地にはなく、隣の駅(JR甲斐岩間)にある慈観寺の分寺にある。私の祖父は、その分寺付近の出身で、10代の時にそこから東京に出て来て今に至っている。
87歳になるが、いたって元気。大きな声で話すし、お酒もよく飲むし、よく働く。
祖父が子供のころの(曾祖父に抱かれているのが祖父)写真。昭和初期。
今回は13回忌ということもあり、前回の7回忌よりかは親戚の人数も少なくなった。30名ほどだったか。
祖父の話では、昔は冠婚葬祭の度に親戚が一同に集まったものだと。
今でも、冠婚葬祭では集まることもあろうが、同じ地域に住むことが少なくなった今日ではそう簡単なことではないだろう。実際、私も近くに住んでいながらも会った事のない親戚は多いし、少しでも距離が離れてしまうと会う機会すらないと思う。
自分にはどれだけの親戚がいるのか、機会があれば調べて見たい。
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