ワイヤーアクションだけでなく、内容も良かった「少林寺 達磨大師」

映画のタイトル。中国映画である。
休みにDVDを借りて見た。
去年、観たことがあったのだがもう一度観たくて借りて来た。
タイトルに少林寺とあるとすぐ拳法ものを連想してしまうのは私だけではないと思う。
実際アクションシーンもあるが、少林寺のことではなく、
達磨大師の出家からの生涯を主として描いている作品。

達磨大師伝説のフィクションを多く取り入れているのでリアルさは欠けるし、
映画の技術そのものもハリウッドと比べると(内容が良いか悪いかは別として)見劣りしてしまう。
しかし、達磨大師の思想などはなんとなく伝わってきて、それが好きで3回も観ている。
達磨大師とは日本でも有名なあのダルマさんである。
日本だとしかめっ面して眼光鋭い水墨画や(今でも怖いが、子供のころはもっと怖かった)、
選挙の時に当選すると片目を入れるあのダルマさんである。(なぜそうするのかわからないが・・・)
達磨大師は、元々、南インドにあった国の第三王子だったそうで、般若多羅という人に弟子入りをし、釈迦から数えて仏教の第28祖菩提達磨となったと伝えられている。中国禅の開祖で、その思想は日本にも伝えられ現在の曹洞宗や臨済宗になっている。

在世していたのは4世紀末から6世紀の中頃までと、もしこれが本当なら優に100歳を超えていることになる。
面壁九年や葦の葉で水上を渡ったとか、伝説的なことが多いがそのほとんどはあくまでも伝説だろう。
有名な話の一つとして、達磨大師はインドから出てきた時、梁(中国の南北朝時代の南朝(502~557年))の武帝に会う。
武帝は、仏教に対して非常に熱心で(この熱心さが一因として国が滅びることになってしまうのだが・・・)達磨大師が来たことを歓迎した。
武帝が達磨大師に質問をする。

武帝:「私は、仏教に数えきれないほどのことを布施した。これはどんな功徳になるのか」
大師:「功徳は無い」
武帝:「では、聖なるものとはなにか?」
大師:「空っぽで何もない」
武帝:「では、私と話している(大師)のは誰だ!!(怒気味?)」
大師:「分からない(認識できない)」

(このやり取りは景徳傳燈録という中国・北宋代に成立した禅宗史書に書かれている。)
なんとも人を怒らせるような問答だが、当然武帝は怒り、達磨大師は縁が無かったものとして、
北魏(北朝)に向かい、嵩山少林寺に行くことになったと伝えられている。
(この後、武帝は自分の至らなさに気付き、北に行った達磨大師を呼び寄せる。しかし、会うことはかなわなかった。)
「功徳」という実体の無いものを意識するあまり、
自分を高めようということが目的だったことを見失ってしまう。
往々にしてそういうことはあるかと思う。
高い志を持っていても、その過程で忙しさや周りの環境で最初の心を忘れてしまい、目的が俗世的なものになってしまうことが・・。
「功徳」や「利益」という言葉に”とらわれ”、その”とらわれた”瞬間に大事なことを見失い、自分で自分のことを苦しめていくのかも知れない。
仏教で言う、「空」というのは、「何にもない」ということではなく、
物事に”とらわれない”自由な心のことなんだと思う。
私は仏教学者でも修行者でもないので「空」についての詳しいことは専門家に任せるとして、日々の出来事に一喜一憂している毎日。少しでも”とらわれない”心持にしたい。

追記
以下のブログでも映画「少林寺 達磨大師」のことが書かれていた。
もろ式: 読書日記「少林寺達磨大師」
ぼくらは原石|空


ワイヤーアクションだけでなく、内容も良かった「少林寺 達磨大師」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 「少林寺 達磨大師」について より:

    武帝と達磨大師の話を聞いたことがあるのですが、改めて書いて頂きありがとうございます。
    解釈について、異論があります。
    達磨大師が武帝が仏教を保護し、多くの寺院の建立した行為に対して、達磨は「無功徳」と言い放っていますね。武帝の行為は善なのですが、我々人間の善には毒が混じっている。武帝がこれだけ善い行為をしたのだから、死んだら悪い処へは行かないだろうという見返りを期待する心によって多くの悪業を造るから、無功徳と言ったと聞いています。
    我々も人に物を施した場合、相手がお礼を言わないと心の中で腹を立てます。
    北極の氷に熱湯をそそいで氷を溶かそうとしても、翌日には、熱湯をかけた分だけ盛り上がります。それと同じです。
    大無量寿経には、「心常に悪を思い 口常に悪を言い 体常に悪を行う」と説かれています。
    武帝の行為も悪しかしていないと言う事を達磨は喝破して言った言葉です。
    達磨の大きく開かれた目は自己心の悪を見逃さない為に自己の心を凝視する為だったのです。
    一万年堂出版の「なぜ生きる」は良い本ですので一読されたら良いと思います。

  2. 誤字がありました より:

    大無量寿経には、「心常念悪 口常言悪 身常行悪 曽無一善」と説かれています。
    「心常に悪を念い 口常に悪を言い 身常に悪を行い 曽て一善も無し」
    「こころ つねに あくをおもい くち つねに あくをいい からだ つねに あくをおこない かつて いちぜんもなし」と読みます。

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