「そうだ、カラフル好きだったんだった」
ここのところ、ずっと自分を生きるというテーマについて書くことが多くなったのは、ただ単に、私という人が人生の岐路にいるということだと思います。
これまで見過ごしてきた「自分という生き物の正体」を明らかにしていく過程の途中。研究段階ってこと!自分のことなのに、めっちゃ不思議だけど、自分自身を研究対象として捉えた方が、ずっとわかりやすくなるって気がしてます。
まず、自分の声とやらがちゃんと聞こえてるってどういう感覚なのか。日常の小さい判断のたびに、「本当の声か?!」って聞きただす。
例えば、今日のランチ何しよう?ってやつ。これってみんなにもわかりやすいでしょ?
「昨日の晩ご飯の残り物がもったいないよね。気分じゃないけど、お腹は満たせる。」
大体、主婦になるとそんなような考えだけで、さして深く自分の本当の声なんざ、聞く耳も持たずにそのまま遂行される。少なくとも私はそんな主婦だった。
でも最近、「本当は何食べたい?」ってとりあえずは聞いてみる。
「いや、あのお店のバジルパスタが食べたいよね」とか
「今日はエスニックな気分なんだよな、本当は」とかいう声が聞こえてくるんです。
こんな小さいことから、「心の声をとりあえずは聞いてみる」っていうリハビリ。年齢を重ねるに連れて、知らず知らずに周りと馴染むことを優先してきたんだなぁと今更気づき。
本当に本当に好きなのはどれ?って何につけても聞くようにし始めたら、ほとんどのことやものが、「加減してる」という自分の現状をみることになりちょっとビックリです。
そんな気づきのひとつが、ファッションについて。
お洋服、ほんとはカラフルが好きだって事、すっかり忘れてた!そして、昔の思い出思い出した。
中学ぐらいの時、友達と買い物だったか映画だったかのお出かけの日、今思っても色も形も面白い風変わりな服を着て行って。待ち合わせの場所に着いて友達が私を見た瞬間、一瞬引いてやや失笑したのがわかって。
「やっぱりそうなるよね…みんなに合わせた方がいいかもね」って思ったそのシーンが急にフラッシュバック!めちゃくちゃ忘れてたそんな記憶、埋没させたつもりでも消えずに残ってるんだよね。
それから、あまり面白い!とか人と違う!派手!とかそういう感覚を、「ちょうどよく」するために無意識に調整して生きてきた気がする。だからずっと「本当に本当にスキ」をやってきてないってこと。
誰に遠慮することもない。誰かの批評を受けるために着る服でもない。それはひたすら自分が嬉しいかどうかだけ。人の目が気になる間は、自分という人間を生きてないってことになるなぁって、たかが服かもしれないけど、されど服。私にとっては自分の美意識とその表現であることを再確認した。
こちらが中学生の時に着て行って、ちょっと浮いてしまったお洋服。イラストに描いてみました!ミニ丈トップス(お腹出るやつ!)とロングスカートのセットアップ。白に鮮やかなブルーの貝殻プリント。靴は何を履いてたんだろう。所々記憶が曖昧だけど。やっぱり今でも可愛い!って思う私がいます♡
本当はお洋服もカラフルが好き!
私のアートは、いつだってカラー使いが重要な要素です。色が好きで好きでたまらないんです。それは、お洋服に対しても同じ気持ちだったんだ!って今更気付いたんです。
ピンタレストでピンするコーデは、必ず絶妙な色柄合わせのものがほとんど。
いつも「目の保養」のためだけと自動的に決め込んでピンしていたけど、なぜ「自分に着せよう」とは思わなかったのか?
それはやはり、本当に着たい服よりも周りに馴染む服が本当に着る服だと思ってたり、自分に対するコンプレックスだったり、おチビちゃんだからサイズあるわけないと思い込んでたりだからだと思います。
あんまり目立つことが不快な場合があるからね、それも一理ある。でも、「本当は何がいいの?」って聞くことだけでも、自分の心は救われるんじゃないかなって。
実際着るかどうかは横に置いておいて、まずは心に聞く。そして自分を知る。
「内から輝いて生きる」=「自分を生きる」
私の目指す人生。名誉でも名声でもない。「内から輝く人生」。
個性なくしてそれは叶わない。お隣さん眺めてては叶わない。
自分の「内」とつながることできっと叶う。
このことに思い至ったのち、ピンタレストでファッションをピンする時の自分の気持ちが違うんです。「素敵!」だけじゃなくて、「これなら自分にも合うかも!」っていう視点が加わった。夢見てるようで、より現実的というか。
できるだけ、自分の気持ちを叶えてあげようよね。母として常に自分の子供たちのことはそう思っている。自分のこともそう思えばいいんだと、ちょっと引いたところで見れるのではないかな。
このブログでは、こうやってこの私の「内から輝いて生きる」までの過程も記録していこうと思ってね、こうして書いております。みんなにも何かのきっかけになったら嬉しいです。
というわけで、また長いね、しかし!苦笑
これまで読んでくれてありがとう!
またね!