朝吹真理子

 朝吹真理子の「きことわ」を文藝春秋で読む。
 その一節 
 一口の三分といっても、カップラーメンを待つ、風が吹きすさぶ早朝に電車を待つ三分間はながく感じられる。公衆電話の三分は会話する相手によりけりだけど、ウルトラマンは三分あればじゅうぶんすぎる。時間というのは、疾く(とく)過ぎてゆくようであり、また遅延しつづけるようでもあり、いつも同じ尺で流れてゆかない。二階で整理していた本に、宇宙のおおまかなところは三分でできたというタイトルの本があったことを貴子(きこ)は永遠子(とわこ)に言った。
 宇宙の永遠の時間と、子供のころ一緒に過ごした二人。その疎遠であった25年を絡めた「時」を呼び込んだ小説と私は読んだ。