キッチンに女が二人と大根
ばあば(義母)と同居するようになって思ったことがあります。もとよりプチ不調が多いばあばだけど、気持ちも若いアクティブな人。だから、キッチンはほとんど私が立つようになったけど、完全に一人が仕切るというわけでもない我が家の同居キッチン事情から気づきを得た話をしたいと思います。
自分軸から生まれた明確な目的のために生きる大事さについて
だいたい食料品は若夫婦が用意するのだけど、買い物大好きで、目に入ったら買っちゃうばあばも良く色々買ってきてくれます。何でそんなことで気づき?って思うでしょ?でもわかりやすいしどんな人でも想像しやすい話だと思う!
例えば、ばあばが買ってきてくれた大根があります。ご飯作るのにメニュー考える途中、「ばあばはこの大根、どういうつもりで買ってきたんだろう、使っていいのかな?」っていう思考が生まれます。そこにいる大根は、私が買ってきてもばあばが買ってきても全く同じ何の変哲もないただの「大根」。なのに、「自分で決めて選んで買ってきていない」大根は、使うタイミングも使い方も判断できない自分がいることに気づいたんです。「どういうつもりで買ってきたのか」を聞いてからじゃないと使えない感じになって、途端に不自由になったんです。
私たちは、人生においてたくさんの選択をして生きています。「これは私が私の判断で決断して選択してるか」また「なんのために?」をちゃんと確認して認識してるか。自分軸で取捨選択していないと、いつかどこかでつまづいた時、次の判断ができなかったり誤ったりする。少なくとも迷いが生じる。これを「ブレる」というんだと思ったんです。
大根からしたら、「わしゃただの大根だわね」。
だけど、何のためにどう使うために買ってきたのか?がわからないものは、「私の大根」ではなくなる。
世の中にはあたかもみんなに当てはまるかのように聞こえるけど、真理からは遠い情報がたくさんある。「あ~そうなのね」ぐらいでいつの間にか自分にとっての真実かのようにあっさり受け入れちゃって染まっちゃってたり。「あれ、これは私にとっても正解か?」と自分に聞いてあげることもなく。今思えば、若い頃はほとんどそんなんじゃなかったかと思う、少なくとも私は。誰も教えてくれなかった。一度自分に聴きなさいって。
明確な目的+自分軸
今は、これが一番大事だと思っています。子供たちに「あなたはどう思うの?」って小さい時から聞いてきたんです。私自身が、勝手に自分のことを決められるのが嫌いな人間だから、自分の子供たちには親だからって私の価値観だけが正解だなんて押し付けたくなかったから。でも、これが結局、「明確な目的を自分で考えて自分で決める」ことになってたかも。迷いが出たり意見を聞かれた時は私という個人はこう思うということは伝えて、あとは子供たちがどう思うかで決める、が我が家のスタイルにいつの間にかなってます。
そんな大それた教育論があったわけじゃなく、歳の差なく生まれてきた3人の育児が、ただ単に私一人じゃ腕の本数も身体のバッテリーも心のスペースも足りなくて、子供たち自身で考えてやってこないと回らなかったともいうのだけど(苦笑)、結果よかったかも?って思ってます。それぞれの正解はあるかと思うけど、「明確な目的+自分軸」で決めた事の方が、失敗しても次の修正案も出すやすく、判断のブレが少なく済むかなと思う私でした。
たかが大根。でも「自分で選んだか?」で違う大根になるって話。どんなに小さい選択でも、できるだけ「自分の明確な目的」のために選んでいるかを意識することで、毎日の鮮度が爆上がりその積み重ねで人生全体が作られていくんだと思っています。
そんな我が家の同居キッチンの事情から生まれた気づきのシェアでした!みんな「幸せになる」ために生きている!「自分にとっての幸せとは?」少なくとも私にとっては毎日毎時間毎分、大事に自分に問いかける呪文にしています!自分のことなのに、答えを見つけるのって案外難しいのだけど、慣れてくるとわかってくる気がします!筋トレみたいだと思う!ここまで読んでくれてありがとう!ではまた!