「良からぬことが起きた時の対処法」


kosayu-mom

「えらいこっちゃが起きたときどうする?」

ここ5年ぐらい人生全体にとってしんどいことが重なって
周りの人たちはわからなかったと言ってくれますが
結構うつうつと暮らしていました。

道を歩いていても涙が出て、
なんとか踏ん張れるように大好きな空を見上げて飛行機を追ってみたりして。
最初の時期は、起こってしまった悲しいことやその原因になった事柄や人物を責める気持ちが強く
自分自身の生き方という着眼点が欠けていたなと今は思う。

今の自分も完璧かって言ったら
全くもってそうではないけど(苦笑)、
大きい変化があったのは、
「自分自身を見る」という、
ある意味で「他人事視点」が生まれたこと。
なかなか完璧にできていないとは思うけど
何か予想外のことが起きても
無駄に感情的になって右往左往することが
ほとんどなくなった。

もちろん驚くし「マジで!」って口走ってますが、
「は〜〜い、はい。落ち着いて。」
と、その変化を一歩下がって眺めることが
できるようになった気がします。

基本的に意味がなく起こることはないと信じるようになりました。
なので、どんなことも起きたことに対して
「これはどういう意味だ?」と思う思考回路ができました。
みんな人それぞれのタイミングでそれは起きるんだと思います。

私の場合は、3人のおチビさんたちの子育てで
かなりバタバタしていた時期が、
まさしく人生そのものの転機(大きい変化)を迎えていた感じで、全てが重なっていたな。
でもそれがよかったんですよ、実は。
精神的負担の大きかったこの時期に
育児が負担になるかと思いきや、
ちょっとしたことで見せる子供たちの笑顔の一瞬一瞬に癒され。
はたまた、体力のない私が1日中3人の相手をしていたら、
夜はお皿も洗えないまま、化粧落とせないまま寝落ちするのは日常茶飯事。
悩み事で悩み苦しむ時間も体力もなかったんです(笑)。
子供達にはほんとに助けられたと思います。

なかなか好転しない現状が長期化したには訳がある。
私という人間を変えるには、それぐらいの試練が必要だったんだと今は思う。
私は、自分という人間に対して固定観念や思い込みが強く、
背伸びして人並みになりたい願望がプライドと言い訳を生んでいた気がします。
文字に並べるとひどいですね(汗)。

そう、まさに「自分の整理」のために起こったことだったと私は思っています。
5年以上かかってやっと「自分を見る」ということがわかった気がするんです。
まだまだ自分を知るには深いし、
まだまだわかっていない自分が存在してるはず。
どこかで突き抜けることができたら
本当の意味で楽になるんじゃないかと思っています。

⑴感情的にならない。
人生に思わぬことが起こったときは、
人生の別ステージに進むとき!と受け取る。

⑵観察する。
その人生の転機的出来事が
自分に何を伝えているのか、を問い続ける。

⑶自分の立ち位置を確認する。
自分が問題解決の
直接的な立場であるかどうか、見極める。

⑷自分のやるべきことをする。
問題解決の直接的な立場でない場合
自分のできることを考えてその実行に集中する。

(5)自分軸を探る
パートナーがいても子供がいても
自分という一人の人間は
人生をどう生きていきたいか、を考える。

(6)自分を忙しくする!
子育て無駄に悲しむ時間も体力もなし!
ひたすらものづくりのプラン考え
水彩画を描くことで忙しい!など。

たった今の私自身がもし5年前の私に伝えるとしたら。
または、5年前の私が知っていたら、
もうちょっと気持ちが楽だったんではないかって思うことを書きました。
どこかで一人しんどい思いしている人が
少しでも安らかに、そして前を向けますように。
そしてやって来たいい波に乗れますように。

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