「三浦春馬さんの日本製を拝見して」
あまり芸能界に興味がなくお顔を拝見すれば知ってるってぐらいだった。
それがとても悔しい。
こんなに素晴らしい人格の方が存在していた事に、その方が亡くなられた事で知るという
なんとも切ない現実がそこに横たわっている。
こんなにも悲しさが続くことも初めてで、自分でも戸惑っているのが本当のところ。
彼から目が離せず、彼の旅立ちからずっと
彼の作品を含む映像やインタビューなどを、ずっと見続けている。
三浦さんが4年半もかけて
47都道府県のメイド・イン・ジャパンを取材したものをまとめた「日本製」という本を
本屋さんで見つけてすぐ連れて帰りました。
彼が見て来たもの、またその時感じた心に触れたくて。
そして、とても共感することだったから。
海外に住んでいたとき、度々あなたの国のことを教えて、と友人に聞かれたけれど
改めて聞かれると全然わからない!ってことばっかりで。
ピョーンと海外来ちゃったけど
自分の国のこと全然知らないじゃん!と痛感した経験が自分にもあるのです。
「日本製」を手に取り、改めて感じることは
三浦春馬さんの、言葉では表現できないほどの、その素晴らしい感性と純粋で真っ直ぐな心。
そして、忙しくてもなんでも、47都道府県を回ったという、その力と意思。
自分はちゃんと日本を調べたか。自分の国を知る努力をしたか。
してないのです。
異国の地で自分のアイデンティティーを
ちゃんと説明できなかった経験があったというのに。
彼の真摯さに感動すると同時に、自分の懐の甘さを感じる。
自分なんて小さい存在。
それはそうかもしれない。
でもそんなの関係ない。
実行したかしなかったか。
それしかない。
他の誰のためにもならないかもしれないけど
自分の中に蓄積した新たな知識と感受性と未来への意志は
確実に自分自身を照らし、新たなステージへ連れていくはず。
そして必見なのが、この本の最後にあるインタビュー。
日本製の取材を通して彼が経験し感じたこと。
俳優としての生き方、いち人間としての心。
そんな事に触れた内容なのです。
一つのことからこんなにも深く豊かな気づきを感じられた
三浦春馬という人がもういないことを信じたくないと思ってしまった。
きっとこの方なら、海外でもご活躍し、なくてはならない人物になっていたに違いない、いろんな意味で。
でももう彼はいません。
悲しくて惜しくて寂しくて仕方ないですが
少し前の投稿でも書いた通り
彼という人がいなくなった事で気づきを得た人がここにいる事実。
少なくとも私という個人は、確実に生き方が変わると確信しています。
私が共感する一節をご紹介しますね。
”人の非なる部分をちゃんと知り得ているから、人として優しかったり、優れていると言えるのかなと思うところがあって。その両方の面を持っている人や、しっかり向き合える人が俳優として、人の心を打つ表現を生んでいけるのではないかと思うんです。”
もう是非お会いしてお話したかったです。
または、三浦春馬さんのおかげで人生を豊かにできたことをしたためたお手紙でも送りたかった。
生きておられてもご縁がなければ叶わないことですが、そう思ってしまう。
でもそれもこれも、彼が亡くなられていなかったら、私には起きなかった変化だった。
なんでしょうね、その現実の切なさは。
彼の作品や言葉に触れれば触れるほど
三浦春馬という人の尊さが身に染みるのを感じています。
「ありがとうございます。」
もう本当に尊敬と感謝しかありません。
今夜は、春馬さんが愛した日本酒でいっぱいやりながら
日本製を愛でたいと思います。