曽野綾子

 産経新聞。曽野綾子の透明な歳月の光。「自己責任こそ自由の出発点」と題して書く。
 チェルノブイル事故13年後の居住禁止区域を見学したとき感じた事を踏まえて書いている。
 ①人間世界はいまだに確信を持って結果が言えることばかりではないということ。
  チェルノブイル事故後25年であるので、まだ確信のあるこ言えない。だから政府は退避して頂くと言う
 ②人間には運というものがあるということは当然のことである。
 私たちはあの悲惨な戦争を体験し、東北は地震と津波に襲われた。どちらも運そのものだ。戦争は避けられるかもしれないが、天災は運としかい えない。しかし、国家と個人は協働して運の恐ろしさを弱めることはできる。
 曽野先生は、禁止区域に住みたかったら、自分の判断で住めばいいと思うと言う。先生の謦咳に接したことがあるだけに先生の意思が伝わる。
 自己責任という言葉を日本人は嫌うが、自己責任こそ、精神の自由を支える姿勢の出発点だとも明言する。

 自分で考え、自分で行動し、その責任をとる。法律の問題は、ある面で責任を取らない事により発生するのではないかと、この記事を読んでふと考えた。