裁判の書
三宅正太郎の裁判の書に自白について書いてある。
裁判に於いて私が常に護符のやように心に思っていることは、自白を信ずることの危険なことである。
これは昔からいひふるされていることで、誰も承知していることであるが、さて現実の事件に当ると、とかく鹿を遂ふもの山を見ずの譬へのやうに、その危険が無視される虞れがある。そこで、私は自白について、殆んど考えられないような極端な実例を銘記して、それを自分の戒めとしている。
実際にあった事件を例に挙げて書いている。
大正時代から問題になつていることが、やっと平成の時代になって、検察取り調べの可視化が俎上に上がっている。
可視化の問題点も多いが、自白を強制しすることによって冤罪が生じるのと、一人に人生を守るにどちらが大切かが判断基準となるのであろう。
本を読んで思った。
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