お盆が近づいてきました。
新盆の季節です。
お盆(盂蘭盆会)については以前記した事があるあります。
よく人様にはお墓に行くと良いですよと言うものの、私自身が行けことができていません。
口ばっかりです・・・{%orz_a%}
私の家のお墓は、山梨県の奥深く甲斐岩間なるところにありまして、私の住んでいる所から2時間半~3時間ぐらいのところにあります。
まったく親不孝ならぬ先祖不幸をしてまして、子どもも授かったことですし、死んだばあちゃんに報告に行こうかと思っています。
そう、これまた偶然にもおばあちゃんが死んだ日にうちの子は生まれたのでこれも何かの縁。
早めに報告をしに行かないと・・・。
よく、なんで先祖供養するの?と聞かれることがあります。
いろいろな宗派によってその解釈は若干違うようでして、人それぞれの感覚、経験からもありますし、”こうだから”ということは言い切れないんですよね。
では、なぜ私はその行動をとるのかと私なりに考えてみたところ、
自分を見つめ直すってことではないかなと考えています。
自分がこの世に生を授かり、生きて行く事を観るこの忙しい世の中でのささやかな機会なのではないかと。
自分の親がいなければ、自分の祖父母がいなければ、曾祖父がいなければ自分はこの世に存在しない訳ですし。
ご先祖様有難うという感謝の念から来るものでしょうか。
たとえそれがどんなに気に食わない親、先祖でも・・・。
そしてその行動は、自分自身が他に変わりのない存在であるという再認識でもあるのではないかと思っています。
仏教の法句経というお経に
「人の生をうくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるは在り難し」
という言葉があります。
自分で望んで”Homo sapiens”になれないですものね。
ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)