祖母の誕生日
母方の祖母の80歳の誕生日。
足を悪くしてから最近は遠出をしなくなりましたが元気です。
よく食べるし。
母方の実家と合わせて9人で近くの和風レストランでお誕生日をした後
母の実家でみんなでケーキを食べました。
前回、私の母がMRIで寝たお話をしましたが、叔父(母の弟)も寝たそうです・・・。
あれってそんなに気持ちがいいものなんですか?
それとも母と叔父だけが変なのか。
ま、確かに二人ともちょっと変ですけど(笑)
最近、祖母は戦時中のことを良く話してくれる様になりました。
3月は東京大空襲があった月なのでそのころのことを話してくれました。
当時、祖母は早稲田に合った大八百屋の娘だったそうです。
日に日に空襲がひどくなり、ある日洋服等を水瓶に入れ、
祖母は自分の姉と姪っ子達を連れてリヤカーを引いて避難しました。
今の目白・椿山荘付近に防空壕があってとりあえずそこに隠れていました。
1回目空襲のときは難を逃れそのまま板橋の親戚を頼って避難。
ところが、その親戚が言うことには祖母の姉が嫁に行った身分だから一日しか
泊められないと。昔は厳しいですな。
仕方がないので次の日はリヤカーを引いて埼玉の親戚の家まで。
ここはここで迷惑な顔をされて家畜小屋で寝泊まりをさせられたそうです。
祖母達がこの埼玉に滞在している間に2回目の空襲がありました。
椿山荘付近の防空壕には爆弾が直撃をし、その中に避難していた方は亡くなったそうです。
早稲田にいる祖母の知り合い達は、そこに祖母達が避難していると思っていたので
一家全滅ということになっていたそうです。
空襲も終わり、早稲田に帰るとお店は跡形もなく残ったのは洋服だけ。
とりあえず命と着るものがあるからなんとかなるということでまた一生懸命働いたと。
もし、祖母が椿山荘付近の防空壕にずっと避難していたら私はここに存在しないのですね・・・(-_-;)
こういう話を聞くと、自分が”生きている”ということに感謝します。
はぁ~。
ほんとだー。
こんな話きいたことなかったやー。
生かされてるってことだね☆