「彼はメッセンジャー」


kosayu-mom

三浦春馬 Night Diver
これまでの人生には死による別れがなかったわけじゃない。
祖父母など、大事で大好きな人たちとの別れは
本当に悲しかった。

だけど会ったことも話したこともない、画面の向こうでしか存在していない人の死が
こんなに悲しいのは一体なんなのかと毎日考えます。
一見、順風満帆で綺麗で素敵に生き生きと活動されているのだと思っていた人が
そのイメージとは全く相反する形でこの世を去った。
子育てと家族の介護でてんてこまいだったこの10年、
テレビをほとんど見てこなかった私には、彼がどんな作品に出演されていたかはほとんど知らず
2019年のFNS歌謡祭でキレッキレのダンスと高音の難しそうな楽曲を歌い切っていた姿を見て
「え、この人こんなに歌って踊れるの?!」とかなり驚いたことがここ最近の彼についての記憶でした。

彼の死を知った時、
「なんで?どうしてそんなことが起きるの?」それが最初の気持ちでした。
あれからどうしても心に空いた穴が塞がらない。
何故か本当に気になって気になって
毎日彼について検索してこれまでの活躍を目の当たりにして
どんどん彼に引き込まれる。
亡くなられてからファンになってしまった。
何故死んじゃったの?何を抱えていたの!って悔しくなってきて。
毎日涙が出て悲しくて悲しくて。
有名人の方の死にここまで感情が揺れ動かされること、
こんなこと、初めての経験でした。
どんなに表面的に輝いて見えても
その人の内面に何があるかは誰にもわからない。
自分の人生だって、きっと1色だけで構成されている人は一人もいないはず。
彼は、望まない現実から自分らしい生き方に抜け出すチャンスを見失っていた部分はあったのかな。
「自分らしい」って何?
私自身も、ずっと答えを探し求めて何年も経ってる。
でも小さくても日常に溢れる多くの取捨選択に対して、
その都度自分の心が向く方を感じ取ろうとする丁寧さを持つことで
すこーしずつ輪郭が見えてきた気がしています。

まだ30歳という若い青年に、その輪郭を探す隙も与えてあげられなかったのかと悔やまれてならない。
30歳の私なんて、自分軸がなさすぎて無駄に感情を揺れ動かしゆらゆら揺れるそれはそれは幼い状態でした。
ただ私には、唯一のソールメイトの夫と子供たちとの家庭があり、
なんとか闇に落ちずに済んだのだと思う。
人の人生なんて、みんな精神的にはすれすれのところを行き来して
でも周りからの助けが入って流れる苦もあって生きてきたんだと思う。

彼はどうしてそこまで優しいのか。
まずは自分に優しくできてないと根本的には周りを変えることはできないんだよ、って
伝えたかったなって。
これも、私が40歳近くなってやっと分かったことだったよ。

「何故彼の死にこれほどまでの衝撃を受けたのか」

それから約3週間ほど毎日涙が出るほどでした。
あんなに一生懸命にまっすぐ純粋に生きていた彼が
そんな寂しい逝き方をしなければならなかったのか。
人として受け入れがたい事実でした。
仕事仲間が語る彼の人柄を聞いて、なおのこと受け入れたくなくなりました。
彼の動画のコメント欄に書き込まれたコメントを読むと
私みたいな人がたくさんいて。
ファンであったわけじゃないのにこんなに悲しくて自分でもびっくりするって。
本当、まさしくそう!って思わず呟いた。
かなりの人数の方々が彼の死によって考えさせられているみたいだった。

私、本気で彼は宇宙からのメッセンジャーだったんだと思うんだよ。
彼は大勢の人間たちに大切なことを伝えるミッションを持って生まれた
そんな天使だったんじゃないかってそう思う。
きっと、彼の死によってありえないほど悲しんで
新しい自分に出会ってる人、考えさせられている人は
きっと彼のメッセージを受け取れた人たちなんじゃないかと思う。
彼の死は、人として生きるということの真の部分を思い出させてくれるようだと思うのです。
肉体を持って苦しんでいた彼自身にもそれはわからなかったと思うけど。

「自分に嘘を付かないで生きる」「自分に優しくする」
もうそれに尽きる。
社会や周りが何を言おうと、あなたがあなた自身の心が喜ぶことをやる!
そうして生まれたポジティブな空気は伝染し、ポジティブな誰かを生むことになると思うのです。

あと、アーティストとして。
彼とはジャンルの違うものづくりをしている私ですが、
一人でも多くの人の一瞬にでも光をさせるようなものづくりを目指している。
そこの部分は共通していることかなぁと思う。
一人でも一瞬でも明るい方へ。
それを叶えるものづくりとコドバの発信をしていきたいってそう思ったのです。
やっぱり一人でも悲しく生きている人を減らしたいって
一人でも笑顔の人を増やしたいって、そう強く思うのです。
自分ができることが微力でもなんでも
自分が楽しんでできることで他の誰かも楽しんでもらえたら。
やっぱりそこに行き着くのです。

彼の死を通して、真の自分で生きることが悟りであるということ、
そしてそれを周りに還元することで
ハッピーの渦を作る1つの小さな力を生み出したいと、そういう想いに行き着いたのでした。
あなたの周りへの愛とあなたへの大勢の愛。
この一番神聖な感情こそが、無性の愛なんじゃないかと。
そう思うのでした。

こうやって自分の感情を文字に起こすことで
彼の死にただただ悲しむという単純な感情ではなかったことを残しておきたい。
彼という素晴らしいエンターテナーが存在し
彼の魂が望むものはしっかりこの世に刻まれたことを確信したことを残しておきたい。
そして、もう涙するのは止めようと、この辺でけじめを付けたいと思ったのです。
それでもきっと、彼の作品に触れるたび、涙してしまうと思うけれど
彼の真意を感じ取れたら、それは彼の生の証拠だとも思うので
彼の作品は、ゆっくりと見てみたいと思っている。

同じ時代に生まれてきてくれてありがとう。
たくさんの大事なメッセージをありがとう。
素敵な笑顔と優しさをありがとう。
あなたの人生にありがとう。
また、ご縁があればお会いしましょう。

三浦春馬様 敬意と感謝を込めて。

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